師範代の独り言

全日本戸山流居合道誠斬会 鎌倉道場の師範代の独り言 おもに抜刀などについて。

茶道と居合道

裏千家家元の千宗室師がいみじくもおっしゃている。今のお茶は型の型になってしまっている。型を真似るのは誰でもできる。その型に血を通わせるから「かたち」になるのだと。私はこの言葉に感動してしまった。それと同時に居合も同じだと思った。型ばかりに囚われ刀を振る本質を忘れてしまっている人ばかりなのだ。振った刀の切っ先が床上何センチだとか血振り、納刀の角度が何度だとかこんな事ばかり気にして本質を忘れてしまっているのではないだろうか。千宗室師は「お茶は自由に楽しめば良い」とおっしゃる。それは、基本が身につき心に余裕のある方のおっしゃれるこ事だと思う。                                   今の居合は高段者になっても低段者と同じ事をやっている、習い事には初伝、中伝、奥伝とある。高段者の奥伝を見てもどこが奥伝なのと思ってしまう。文字通り血が通っていないのだ。ただ単に教科書通りの型をやっているに過ぎない。                                                            茶道の入り口に立ってみてやはり難しい。師の動きを真似ようとするのだが、単純な動きに思うのだが体が思うように動いてくれない。因みにこの師は居合道での後輩である。居合は後輩でも茶の世界では大先輩である。流石流れる様な動きである。袱紗の扱い、茶碗の持ち方回し方さり気ないのである。この動きができて初めて自由に動けるのだろう。何年かかることやら。刀も多少は自由に動け居合道がなんたるかを解った様な気がするのに10年かかった。本当に解るのに一生懸かるのだろう。一生かかっても解らないかもしれない。 何でも自由というのが一番難しいのだろう。自然体ということか?私の目的はとりあえず刀もお茶も自然体で動ける様になることだ。                                                     居合の師が座禅は静の禅、居合は動の禅であるとおっしゃった。茶道はその中間に位置すると思う。禅とは心を無にすることと思う。刀を振り巻き藁を斬る時も心は無及び空なのである。  
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