師範代の独り言

全日本戸山流居合道誠斬会 鎌倉道場の師範代の独り言 おもに抜刀などについて。

下げ緒

下げ緒はいつの頃から今のように袴に巻きつける様になったのだろうか。袴に巻きつけるのは敵に刀を鞘ごと抜き取られない工夫と流派のみわけだけだろう。しかし、現在は抜き取られる心配はない。           今も昔も抜き取られるのは武士道不覚悟であり刀を差す資格はない。                       師匠に聞いたところによると、今の様な形になったのは50〜60年前」からだと言う事だ。その前はなかったそうだ。下げ緒の役目とは何だろう。襷、敵を縛る、血止め?そんな物だろう。ほとんどが飾りだろう。それなら、蝶結びや浪人結びで良いのではないだろうか。                                      何度か書いたが脇差にしても、今の居合と呼ばれている流派で二刀差して演武する流派があるだろうか。  稽古に邪魔だから大刀一本になってしまったんだろう。それが、公式の場所でも一本差しで演武する様になってしまったのだろう。英信流では八段以上でなければ脇差を差してはならないという。公式の場所で八段以上の先生方は脇差を差しているが演武になると脇差をとり一本どっこで演武を始める。たぶん二本差しでは演武はできないのだろう。                                                     オリンピックの柔道を見ていてがっかりする。有効や効果で勝ち負けが決まってしまう。そんな物柔道ではないだろう。日本の選手は一本勝ちの柔道をやっているので外国勢の様な効果一本で逃げを決めるJUDOとは別物にするべきか、時間無制限一本勝負にしなければ柔道ではないだろう。                    誰かが言っていたが外国ではJUDOをジャケットレスリングと言うのだそうだ。居合もソードダンスと呼ばれないようにしなければいけない。せめて、六段以上は本身を使おうではありませんか。我、戸山流は初心者から真剣です。
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一周年

8月2日がやって来た。戸山流誠斬会鎌倉支部、創立一周年だ。早いものだ。あっという間の一年だった。7月の猛暑の中、汗だくになってパイプを組みビニールを張り、屋根に波板を打ちつけ床板を張り、電気の配線をした事。その時、手伝ってくれた仲間の顔を一人一人思い出す。                           俺一人では到底建てられなかった。パイプの組み立て、金具が足りなくなり何度も買いに行ったこと、3人が3メートルの所での作業、屋根の波板の釘打ちの大変だったこと、手伝いの人間が足場を貸してくれ大いに助かったこと。台風の真っ只中の床張りと1年前のこととはいえ10年も前の様な気がする。            そしてこの1年のなんと目まぐるしかった事か、道場ができて毎日の様に数人が稽古に来た。ストックしてある畳表があっという間になくなってしまう。皆が喜んで稽古に来るので、道場を建てて本当に良かったと思う。 年が明けて1月14日母が身罷り、2月11日命名式、本部道場の道場開き2月18日「嘉龍」襲名披露、気が付いたら8月2日が来ていた。                                                   当初6人だった会員も今や15人になった。また、2周年に向けて頑張ろう。皆の助けを借りながら。
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居合の基本

現在、英信流を習っている人から聞いたのだが、まだ二段なのに奥の技を習い始めたと言う。一本でも多くの技を覚えろと言う事と同じ事ばかりやっていると飽きてしまうと言う事らしいが、基本もできていない人に奥の技を教えて良い物だろうか。                                                                       私は10年前にある先輩から基本技、立て膝、奥の技は刀の握り方、振り方と全部変えなければ技ではないと教わった。その時私は大変感動し今でもその教えを実践している。しかし今の高段者の技を見ると初段者となんら変わりがない。どこが奥の技なのかと疑問に思ってしまう。三歩進んで刀を握り早納刀をするから奥と解るだけで勧進な技が奥になっていないのだ。                                                江戸時代の人間がかかとをつけて気を付けをしただろうか、手を大きく振って歩いただろうか、もう少し剣術を学んだほうが良いのではないだろうか。難波歩きの研究をしたらいかがか。                                                     先日、わたしの道場で英信流四段の人が巻き藁を斬ろうとし空振りをし、刀を飛ばしてしまった。幸い本人にも周りの人にも危害がなくて幸いであった。最初から中段者の持ち方、酷いのは竹刀の持ち方を教えるからこういうことになるのだ。居合はそれでも段位は獲れるだろうが後になって恥をかくのはご自分ですよ。竹刀持ちでは半巻き藁も斬れません。斬れたとしてもたまたま斬れたか刀が斬ってくれたのです。私たちは70CM前後の刃物を振り回すのだから、高段者の方達はそれを肝に銘じて後輩の指導をしなくてはいけないんじゃないでしょうか。ジュラルミンの刀でも刺されば怪我をするし下手すると殺してしまうんですよ。
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仲間

私は最近、大事だと思っていた友人を二人もなくしてしまった。はっきりとした原因は思いつかない。急激に仲良くなったのだが、他の友人同様私にはなくてはならない、友人でありスタッフだと思っていた。ところが、意見の食い違いか思い違いで袂を分かつことになってしまった。急激に仲良くなるということは理解しあうのは難しいのだろうか。                                                           私は12年間修行してきた英信流の道場を昨年退会した。その理由は自分が信じる理念のもとに修行してきた事を否定され、自分が求めてきた居合とはかけ離れたところに進んでいるので退会させてもらった。悲しかったのは12年ご教授くださった先生、友人と別れることだった。しかし現在は籏谷先生の後押しで道場を建てることができ、十数名の会員が在籍している。会員全員に私の教えを理解して貰おうとは思っていない、私同様それぞれの考え方があると思う、その中で意見の食い違いがでればその場で解決をしたいと思っている。私は私の理念を押し付けようとはおもっていない。しかし、教わる以上は私の理念を理解してもらわないと困る。理解と言うより納得かもしれない。納得できるから良い友人であり会員なのだと思う。私のモットーは楽しく稽古をする事なのだから。
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茶道と居合道

裏千家家元の千宗室師がいみじくもおっしゃている。今のお茶は型の型になってしまっている。型を真似るのは誰でもできる。その型に血を通わせるから「かたち」になるのだと。私はこの言葉に感動してしまった。それと同時に居合も同じだと思った。型ばかりに囚われ刀を振る本質を忘れてしまっている人ばかりなのだ。振った刀の切っ先が床上何センチだとか血振り、納刀の角度が何度だとかこんな事ばかり気にして本質を忘れてしまっているのではないだろうか。千宗室師は「お茶は自由に楽しめば良い」とおっしゃる。それは、基本が身につき心に余裕のある方のおっしゃれるこ事だと思う。                                   今の居合は高段者になっても低段者と同じ事をやっている、習い事には初伝、中伝、奥伝とある。高段者の奥伝を見てもどこが奥伝なのと思ってしまう。文字通り血が通っていないのだ。ただ単に教科書通りの型をやっているに過ぎない。                                                            茶道の入り口に立ってみてやはり難しい。師の動きを真似ようとするのだが、単純な動きに思うのだが体が思うように動いてくれない。因みにこの師は居合道での後輩である。居合は後輩でも茶の世界では大先輩である。流石流れる様な動きである。袱紗の扱い、茶碗の持ち方回し方さり気ないのである。この動きができて初めて自由に動けるのだろう。何年かかることやら。刀も多少は自由に動け居合道がなんたるかを解った様な気がするのに10年かかった。本当に解るのに一生懸かるのだろう。一生かかっても解らないかもしれない。 何でも自由というのが一番難しいのだろう。自然体ということか?私の目的はとりあえず刀もお茶も自然体で動ける様になることだ。                                                     居合の師が座禅は静の禅、居合は動の禅であるとおっしゃった。茶道はその中間に位置すると思う。禅とは心を無にすることと思う。刀を振り巻き藁を斬る時も心は無及び空なのである。  
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